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研究所Diary

 

研究所での出来事や、研究所メンバーによる日記。

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2008.9.28  第71回 川崎沖縄芸能大会

久しぶりの日記更新です!すみません〜

ということで、2年に1回の大城研究所が出演する舞台!今年も早い時期より曲を決めて練習してまいりました。「守礼の島、砂辺の浜、月の浜辺」の3曲です。

普段のお稽古はもちろん、後半は日曜日に集まり皆で練習してまいりました。

舞踊や古典が多い中で、民謡だけという演目は今回は私達だけです。無形民族文化財の舞台とあって、生半可な気持ちでは見に来ている方へ申し訳ありません。さてさて練習の成果は出たでしょうか?

本番に強いと言われている私達なので、なんとか無事終了しました。

今は舞台も終わり、少しホッとのんびりムードの研究所です。

 

2008.4. 6  毎年恒例のお花見

朝から快晴!11時に大城研究所近くの入船公園へ集合。お花見弁当を食べながら、宴会スタート!

今回は、宮地楽器の生徒さんも参加。皆さん、自慢の喉をご披露していただきました。渋谷の生徒さんたちは、なんと「国頭ジントーヨ」の替歌をこの日の為に作詞。参加者にも大ウケ!大城先生もニコニコ。

2次会は場所を移し、おきつる会館にて。舞台を使って、唄三線あり、舞踊ありで、唄って踊って。花見を入れるとかれこれ6時間以上経過。皆さん元気です。先生奥さんの手料理「ジューシーメー、三枚肉や野菜の煮物、テビチ、島らっきょう」を中心に、たくさんの料理が並びました。最後のシメにはなんと「しじみ汁」まで登場!

飲んで唄って食べて踊って、フルパワーの1日でした!

 

2008.2. 2 《久茂地ぬほーいがじまる木》・・・・・by長嶺紀晃

※写真は現在の平和記念公園です。イメージです。念のため。。。

再び長嶺オジーの登場です。
私事ですが、世に稀な体験ですので皆さんにご紹介します。
私は1936年(昭和11年)生まれで、1944年の10・10空襲(小学校2年)まで那覇市久茂地、現番地では2丁目の6辺りに住んでいました。
家の前には久茂地川が流れ、川向こうには電気会社がありました。電気会社からは毎日暖かい排水が流れていましたので、冬の季節にはその温水に浸かって遊ぶのが日課でした。たまに流れ出る重油でズボンが油だらけになるのも度々でした。
夏には波の上(なんみん)に泳ぎに出かけ、幾度か溺れかかっては助けてもらっていました。
冒険心・好奇心旺盛な子供であったようで、飴を買うと親からせびったお金を貯め、首里の桃原農園に孔雀を見に、小緑の軍飛行場に飛行機を見に、等など結構広範囲に亘るバスを利用しての一人旅を楽しんでいたようです。其の都度我が家では大騒ぎで、きついお灸を据えられていましたが、喉もと過ぎれば・・で、すぐ次の行動を起こす、実に困った子供であったようです。

家の前には大きながじまる(榕樹)木があり、其れに登るのも毎日の遊びの一部でした。
初夏の季節になると、粒は小さいのですがイチジクに似た味の実をつけます。
其の実を食べるのもまた楽しい遊びでしたので、実の熟れる季節には空中(木上)が遊び場であったようです。小学校に上がる前でしたので多分6才頃の出来事ですが、ある日その木から落下し意識を失いました。病院に担ぎ込まれたが3日後にやっと意識を取り戻す大失態をしでかしました。其の失態は今に至るまで良く覚えていますが、そのがじまる木が何たるかを先月姉から聞いて、ビックリ仰天し、あの伏せて置きたかった「失態」を誇りと考え直した、私事の大発見なのです。
何と「唐船どーい」の2番目によく唄われる「音に響まりる 大村御殿の 栴檀木 ユイヤナ
那覇に響まりる サー 久茂地ぬほーい榕樹木」、そう《久茂地ぬほーいがじまる木》であったのです。がじまるは枝からも根を出し横に大きく広がります。「ほーい」は這うの意味です。
《久茂地ぬほーいがじまる木》に登った事のある人はこの世に何人居るでしょう?
その木から落ちた人はこの世に私だけ!!!
残念ながら今はその《久茂地ぬほーいがじまる木》を偲ばせる痕跡は何もありません。
私こそその木と最も深く関わった生身の人間!という大発見で、不名誉を誇りに変えたお話です。
 

2008.1. 16 やーさん、ひーさん、しからーさん・・・・・by長嶺

大城教室、最長老オジーの長嶺です。
昨日、島唄大好きのオジー、オバー達の集いがあり、そこで「やーさん、ひーさん、しからーさん(ひもじい、さむい、さびしい)」の上映がありました。
此の映画は沖縄戦直前に集団疎開させられた学童及び引率教師、百余名の証言の映像で、飢え、寒さ、寂しさと闘った疎開学童らの戦中戦後に思いをはせ、戦争の知られざる一面を伝える大切さを次世代に託した作品です。
昨年は映画「ひめゆり」(生存者二十数名の証言を十数年掛けて収録した映像)の上映、教科書問題、等もあり、戦前から今日に至る郷里沖縄の立場、特に被害者的側面をいろいろ考えさせられました。
それに先立つ大正から昭和初期は、ソテツ地獄、女工哀史、移民、等など、もっと貧しい時代で、且つ差別ももっと強かった事を、明治生まれの両親から沢山聞かされました。

戦後六十余年経った今日の沖縄はどうでしょうか? 失業率:No1、一人当たり所得及貯蓄:最下位、等など、暗い数字が並んでいます。
この様に虐げられ、今日もなお貧しい我が故郷に、癒しの島唄が沢山生まれ、唄われています。今教室で唄っている「帽子くまー」は大正時代に作られた唄で女工哀史的唄ですが、優しさが一杯です。去年唄った「汗水」、「えんどうの花」は昭和初期の唄で、癒してくれますよね。戦時中戦後も沢山の癒し系島唄が作られ唄われています。
今日では毎日の如く新しい唄が生まれて、歌われでいるようですが、その様な島が世界の何処かにあるでしょうか?
全国で最も貧しい県であるにも係わらず、県外の多くの人を惹きつけ、果ては移住さえさせる魅力は何でしょう?
「答えは一人当たり所得及貯蓄:最下位」と「結い」にあり!と、ひそかに思っています。
経済的に最下位でも大金持ちも居ない、つまり所得格差が小さく、皆貧乏でもお互いが助け合い、寄り合って、心温かく暮らせる社会です。
大東京は沖縄の全く裏返しです。大金持ちが沢山居てホームレスも沢山です。金持ちはもっと金が欲しく、ワーキングプアやジョブレスは社会不安の原因となります。
若い島唄愛好家の皆さん、政治経済諸指数全国最下位は、「沖縄の穏やかな社会」の基ですので、沖縄を大いに誇り、島唄を広めて欲しいと思います。

 

 

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